時津風部屋のご紹介

時津風部屋のご紹介

時津風部屋とは

1941年5月、第三十五代横綱・双葉山の開いた「双葉山相撲道場」が現在の時津風部屋のルーツです。
双葉山と言えば、未だに破られない歴代最高記録の69連勝5場所連続全勝優勝などを記録した大横綱。

「双葉の前に双葉なく、双葉の後に双葉なし」

…と言われたその強さ、豪快な左上手投げは多くの人々を魅了し、当時の国技館は連日超満員。
その凄まじい双葉山人気はもともと11日間だった大相撲の興行日数を13日にそして現在の15日に変えてしまったほどでした。
その双葉山が12代時津風を襲名し、道場を「時津風部屋」へと改称したのが1945年11月。
以来、時津風部屋は70年以上にわたって優秀な力士の育成と「国技」相撲の発展に尽力し続けています。
双葉山の示した強さのあり方、相撲に対する姿勢、勝負に臨む精神。
それらは今なお脈々と、時津風部屋の力士たちに受け継がれています。

時津風部屋のビジョン

「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」

かつて双葉山が残したこの言葉は、相撲界ではあまりにも有名です。
いつであろうと実戦を意識し、集中を研ぎ澄ませて相手にぶつかる。
本場所と変わらない緊張感の中で稽古を重ねなければ、実戦で力は出し切れないという教えです。
勝利を貪欲に求めるが故の、一心不乱の猛稽古。
時津風部屋の稽古は、稽古でありながら真剣勝負そのものです。
ひたむきに勝利を求め、されどその力強さは土俵の上に華々しく。
多くの観客を魅了してやまない時津風部屋の相撲を、とくとご照覧あれ。

時津風部屋の歴史

昭和17年(1942年)、時津風部屋は、かの大横綱・双葉山がその実績から
二枚鑑札(現役力士のまま弟子の育成をすること)を許可され、
「双葉山相撲道場」を設立したことから始まります。

双葉山は、太平洋戦争終戦直後の昭和20年(1945年)11月場所に引退、
第12代・時津風を襲名し、ここに「時津風部屋」が誕生しました。
双葉山道場の看板は、現在も時津風部屋の入り口に掲げられています。

十二代・時津風は、昭和43年(1968年)12月16日、満56歳でこの世を去るまでの間、
約11年間にわたって第三代相撲協会理事長を務めるとともに、一横綱(鏡里:十三代・時津風)、
三大関(大内山、北葉山、豊山:十四代・時津風、第八代相撲協会理事長)をはじめとする多くの力士を育成しました。

現在は17代・時津風 祐哉(元・土佐豊)の指導のもと、多くの力士が日々研鑽を積んでいます。

1939年 双葉山、69連勝を達成
1941年 双葉山相撲道場設立
1945年 双葉山、12代時津風を襲名。双葉山相撲道場を時津風部屋へと改称
1968年 12代時津風逝去。元横綱・鏡里が一時的に13代時津風を襲名
1969年 元大関・豊山が14代時津風を襲名
2002年 14代時津風が定年退職。元小結・双津竜が15代時津風を襲名
2007年 元前頭・時津海が16代時津風を襲名
2021年 時津風 祐哉(元前頭筆頭・土佐豊)が17代時津風を襲名

双葉山 定次
「昭和の角聖」「相撲の神様」とまで呼ばれた大横綱。幕内最高優勝12回(内、全勝8回)、歴代最高記録の69連勝など、数々の実績を残す。相手より遅れて立ちながら相手の立ち方を見て捕まえる「後の先を取る」立ち合いで、特に右四つをとった時の強さは尋常ではなかった。

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